2010/09/27

MC合戦のセコンド

 ――― 2010年09月27日。『MC合戦のセコンド』 ―――
以下は、やたらに長い夢の、ごく一部分。

話題のラッパー同士のMC対決が、演出のためにリングの上で行われる。自分はびみょうに関係者であるらしく、その一方のセコンドを演じているつもりで、ゴングが鳴る直前、コーナーの下にしゃがんで選手に付き添っている。

だがしかし、ゴングが鳴りもしない前に、『ま、そろそろいいか』と思って自分はその場を離れ、違うところで何か違うことをする。

それから帰宅すると(現実の自宅と異なる、やたら地べたが近いあばら家)、意外と玄関にカギがかかっていたので、すぐ横の戸口から家に入る。
そうすると、N子が来ていて、汚そうな畳の上にぺたりと座って、新聞のような雑誌のようなものをたくさん拡げて眺めている。

そして何だかふきげんそうなので、自分が『どうしたの?』か何か声をかけると、N子はだまったまま、自分に1冊の雑誌をつきつける。それが変形大判で30cm角の、むかしの『ele-king』のようなもの。
で、そのカバー写真が、先ほどのMC合戦の、試合前のコーナーを写したもので。選手と一緒に、セコンドの自分がバッチリ写ってしまっている。
それを見て自分は、『ん、思ったほどいい男に映ってねーな』…と思い、特に後頭部のへんなところで毛がハネ気味だ、ということを思う。
で、これがN子のふきげんのタネだということが、何となく分からんでもないが、しかし具体的にはよく分からないのだった。

(付記。自分とN子が共同名義で『ele-king』に寄稿していたことがあったので、これはそれに関係した夢ではあろう)

2010/09/26

なぞのロックバンド

 ――― 2010年09月25日。『なぞのロックバンド』 ―――
聞いた話で、『オーズ(O-s)』とか『アーズ(A-s)』とかいう運動体的なロックバンドがすごい動員を記録したらしい。興味をもって話を聞いて回るけど、どういうものかはっきりしない。が、どうも、そのバンドメンバーもファンも、全身白い服をまとった女性らであるらしかった。

2010/09/24

学校給食に関するアンケート

 ――― 2010年09月24日。『学校給食に関するアンケート』 ―――
弟の学校給食に関するアンケートを書かなくてはならない。質問票を見たら、けっこう美味しそうな献立らが、カフェのメニューみたいなおしゃれっぽい写真で紹介されている。

だがしかし、『それぞれ完食したか否か』という問題は、喰った本人でもない自分には答えられない…ということに気づく。摂取量に応じて給食費が変わるらしいので、まじめに答えなければならないのに。

献立表をかねた質問票をよく見ると、給食中のBGMは、ジョン・フォックスやゲイリー・ニューマンだそうなのだった(選曲リストつき)。たぶん彼らが、本国イギリスの学校の給食タイム用に書いた曲らが流用されている。

さらによく見ると、(ありがちな)MSパワーポイント資料みたいでもある質問票。その、別になくてもいいような挿し絵が、過剰に色っぽい人妻(たち)、手塚マンガの火の鳥、と、何だかおかしい。また、丸っこい枠を多用したレイアウト全般も、何か萌えエロ関係で見たことあるような?
これはひょっとしたら作り手が、分かるヤツには分かるような謎をかけているのでは? …と思ったところで目がさめた。

蛇足。寝てる最中のBGMに、フィリップ・グラスやらマイケル・ナイマンやらの、わりとどうでもよさそうな現代ピアノ曲をしかけていたが。その、意外と落ち着きないところが、夢のふんいきに出ていたような。また、『食事を完食したか否か』という問題は、介護の仕事から出ている話かとは思う。

2010/09/14

1990's ドリーム

 ――― 2010年09月14日。『1990's ドリーム』 ―――
DJナウくんと2人、スーパーファミコンにモデムをつないで、海外のあやしいフォーラムに接続して遊ぶ。どういうわけだか、サードパーティ製のあやしい周辺機器をいっぱい持っている(けっこう使い込まれたもの)。
それらの機器の多くが、意外なところにフロッピーのドライブをそなえていた。さらに、スーファミ本体の上ブタを外すと、マシンの後端部にMIDI端子が見つかった。これなら、プログラムがあればスーファミをMIDIシーケンサーにすることもできそうだった。ただしコネクタの形がへんなので、変換機材も必要そうでありつつ。

で、しばらくは興奮して、ゲームのROMやテレビドラマらしきもの(?)等のファイルを落としたり、英語のフォーラムをのぞいたりしていた。何をダウンロードしたのかナウくんが、『やべえ、システムディスクに書き込んじゃった』と、びみょうにあわてていた。うすっぺらな4角形の機材の、別々の辺に沿ってドライブがあるので、分からなくなったかと思った。

しかし。やがて気づいたのだが、『スーファミにモデムをつないで』というシステムから、この通信は少なくとも、ふつうに電話代がかかっていそう。『しまった、どうせパソコンからもアクセスできたろうに。そうすれば安上がりだったのに』と後悔の念が浮かんだ。

夜が明けて。誰だか分からないが、ワイシャツにネクタイの男性が家に来ていて、オレを見て『きみ顔色悪いね』と言った。『あまり寝てないからね』と答えた。
また、弟が体調不良のようで、様子を見に行くとベッドの中で、おそらく吐しゃ物で汚れた顔をして寝ていた。そしてオレの姿を見ると、『おぶぶー!』と、へんな幼児語で何かをオレに言った。
水を呑みたいのか、顔を拭きたいのか、どっちかな…と思いながらもオレが『おぶぶって何?』と問い返すと、弟は意外とふつうに起き上がりながら『あ、いいよ、自分でする』と言った。

テレビのニュースは、『ニューヨークの病院で死んだ息子のさいごを、ネットを利用して父が看取る』という、いいんだか悪いんだかよく分からない話題だった。

2010/09/11

ビバップ・ハイスクール・ララバイ

 ――― 2010年09月11日。『ビバップ・ハイスクール・ララバイ』 ―――
自分は高校生。そして、ケンカ無敵でイケメンなわがままお坊ちゃまのA君は、自分の友人かつ親分のような存在。

たぶん下校のため、自分らは電車に乗った。これが、どういうのか、観光用の展望車のような簡易な車両で、ドアがなくて出入口は開いているだけ、という気もした。
車両の最後尾の出入口から、われわれが乗り込もうとしたところで、先頭のA君は、いちばん後ろの席、3人は座れそうなシートで独り、ゆうゆう居眠りしているツッパリ学生を見つけた。というかA君は、その彼がいそうなことを見越していたようなふんいきもあった。

車両はわりかし混んでいたので、A君はそのツッパリにケンカを売ってやっつけて、自分らの席をゲットしたいようだった。そして、こういう流れになってしまうと、自分ごときがA君をいさめてもムダであるらしかった。
代わりに自分は、ケンカの最中にとばっちりを喰わないように、自分らの連れの女の子たち(A君の彼女とA君の妹)を、車両のすみっこにおしつけて、自分の体で保護していた。紺ブレザーの制服の少女2人は、おびえてか、逆らいもせず自分に保護されていた。
そして、自分にしたってケンカなんて怖くて見ていられないので、そっちに背中を向けて、終わるのを待っていた。

やがて片がついたらしいので自分が振り返ると、相手のツッパリ君は、頭から血を流しながら車両の床に倒れていた。そしてA君は、勝利してなお気がすまないようで、『このクソがッ!』等々といきり立って、なおも相手に攻撃を加えようとしているのだった。

『よそうよ! もう十分だろう? 死んじゃうよ!』
『ッたってよぉ! この指をどうしてくれんだよ、痛えよ!』

と言ってA君が自分に示した左手の中指は、痛々しく腫れ上がって、たぶん脱臼か骨折をきたしていそうだった。それは殴り合い・蹴り合いの最中にそうなったとも思えず、相手がA君を押さえ込んで、意図的に指を折ろうとした結果かと、自分はそのとき考えた。

自分としてはA君の無敵を信じていたので、そのやられ方を見て、『今回は意外とやばかったのかな』とも感じたが。にしてもケンカなんてほんとにくだらない、かつ、この場はいったいどうやって収拾したらよいのか…!?

2010/09/10

下北沢の年増

 ――― 2010年09月10日。『下北沢の年増』 ―――
太平洋戦争中のような、抑圧体制下。自分は出先で何かの検問に引っかかって、持ち物の検査をされた。
すると憲兵みたいな奴が、自分のサイフの中身を見て、『通貨の規制により、いまはこれらのお金は使えない』、のようなことを言い出した。見たら自分の所持金だが、既知の日本の硬貨ではないものだった。

そして『通貨の両替』をしろと言われたので、自分は闇市っぽいマーケットへ向かった。
それが実は、『両替』じゃなくて。その市場でのみ不正規の貨幣が通用するので、何か買い物をして、お釣りとして正規のお金を受け取れ、というのだった。
何かおかしい気がするが、自分は言われたとおりにそこへ向かい、1軒の古びた和風な食事の店に入った。そして、調理場の湯気が顔に当たるようなカウンター席についた。

そして出された料理は、こぶし大のカエルをまるごとゆでたものだった。
出てきたからには、喰えるものなのだろう…いやだけど喰わねばならん気が…と考えて自分は、金属のスプーンをナイフがわりに、カエルの背中に突き立てた。するとかんたんにスパリとカエルの背中の皮は破れ、ぱっくりとそこに口が開いた。

そしてそのカエルの体の中から、生きている小さなカエルが2~3匹、這い出してきた。ゆでられていても、中にまでは熱が通っていなかったらしかった。
さいごに出てきた1匹は、オタマジャクシから変態中らしくて、それだけ色が明るい褐色で、平べったいからだからヒレが出ている、いっそうグロテスクなしろものだった。

それからなぜか、その場の人々の自分に対する待遇が変わって、自分はもっと奥の座敷に通された。そこでは体格のいいおっさんたちが、『ロックとは! フォークとは! 自由なもんなだよお!』などと、酔って気炎を上げていた。

そして中年に近い、感じのいい女性が給仕について、また別の料理をとってくれた。それがまた、大小のまるごとの魚らを、何時間も煮込んだようなしろものだった。この店かこの地方の料理は、ともかく『まるごと』が基本らしかった。
まだしも食えそうな気がしたので、自分は1匹の平べったい魚を口に入れた。まるでおせんべいをかじるように、それを半分口に入れ、喰いちぎった。

目の前の、大きくて真っ黒な鉄の鍋、むかし話の挿し絵で、いろりの上にぶら下がっているようなもの。その中で、いろいろな魚がみそ煮込みになっていた。よく見ると、その鍋の底に、豚肉の切り身のようなものがはりついていた。あまり魚が好きでないので、自分はそれを喰った。

で、さっきから何くれとなく親切にしてくれる、和装の給仕の女性。彼女について、自分が頭の中でネット検索を行うと、『下北沢の“と”』、という情報がヒットした。
『“と”』とは、『年増』を婉曲に言ったことばであるようだった。うまくしてこの女性の気に入られると、飲食の饗応にあずかれるどころか、もっといろいろなサービスを受けられるらしかった。

ではこのまま、流れに身をまかせてもよいのだろうか…と、自分は考えていた。

頭が8つのカエル

 ――― 2010年09月5日。『頭が8つのカエル』 ―――
(これは5日前に見た夢を、不十分なメモから起こしたもの)

頭が8つのカエルを見る。どうなっているものかというと、カエルのお尻の部分を『扇のかなめ』として、その扇を広げた感じで、放射状に頭部が8つついている。

調理場らしき部屋の戸口で、見知らぬ貧相なおっさんとすれ違う。そのときに自分は、たぶん仕事のつごうで、右手に包丁を持っている。害意を感じさせてはいけないと思って、包丁の刃先を地面に向ける。

葬式かお通夜に出席する父が、喪服の代わりにこれでいいと言って、黒スケネグリジェを着ている。どうせ言っても聞かない人なので、放っておこうと考える。

ネットで知りあった人の家に遊びに行くと、その庭先で、洗たく物干しを手伝わされる。
その干し物として、別に色気も何もない大量のブリーフやショーツの類に混じって、まっ黄色なキャップが出てくる。それにふしぎと見覚えがある、自分のもののような気がする。
考えたら、自分の赤い帽子が、洗たくの過程で色が抜けて、黄色になってしまったものかという気がしてくる。

その人のお姉さんは作家で、尻切れトンボ…(←メモの意味が、自分でもよく分からない)。

やがて自分が尿意を訴えると、その家の習慣なのだろうか、30~40cm角くらいのダンボール箱をさして、その中に放尿しろと言われる。
言われてすなおに自分が始めると、この尿がまったく止まらない。縁側に面したお座敷の廊下に近いすみっこで、自分は中腰のおかしな体勢で、いつまでも箱の中に放尿している。あまりにも長いので、やがてその家の姉弟が失笑を始める。

そもそも、こんな箱の中に尿をして、下から漏れるのではなかろうか、した後の箱はどう始末するのか…といったことらも疑問だが、とにかく尿が止まらない。そこで姉が、笑いながら、『もう、臭いじゃない!』と自分をあざける。
やがて自分は、ペニスを下へと向けている自分の左手にへんなぬくもりを感じる。どうしたのかと思ってよく見たら、ペニスの中ほどに横穴が開いて、そこから漏れている尿が、手に当たっていたのだった。

これは、健康上の一大事なんじゃなかろうか…と思いつつも、ひたすら尿が止まらない。というところで自分は、もうれつな尿意を感じながら目がさめた。

2010/09/07

クラフト-エービング博士

 ――― 2009年04月27日。『クラフト-エービング博士』 ―――
以下は自分がむかし書いた堕文をあさっていたら、ふいに発見された夢の記録。

途中までを省略して、結末あたりのシーンで、弟の結婚式が行われようとしていた。その会場に集まっていた親族らは実在の人々だが、しかしかんじんの(?)弟とその花嫁が、架空の人物らだった。
自分にはじっさいに2人の弟がいるが、それとは別。夢の中で、弟の名前は≪クラフト≫、その花嫁の名前は≪エビング≫というのだった。
…まさか自分がそんなにも、クラフト-エービング博士を大尊敬(?)、してるとは気づかなかった…っ!?

(クラフト-エービングはフロイトの先パイ的な精神科医、『サディズム』・『マゾヒズム』という語の発明者)

2010/09/04

ルー・リード特集

 ――― 2010年09月4日。『ルー・リード特集』 ―――
これは『ベルギーの王さま』に続いてみた夢で、ロケーションが同じく原宿近辺になっている。そこに所在するレコード店で『ルー・リード特集』のセール中だと聞いたので、N子と2人で自分は出かけていた。
聞いた話だと、ひじょうに珍しい、誰か日本のミュージシャンとルーちゃまが共演している盤が売りに出ているはずだった。ところがめっからないので、自分はがっかりした。また、店の中でいくつか小さなイベントがあったような気もするが、それらは忘れた。

何も買わずに自分たちは店を出て、線路ぎわの道を歩いていた(気分的には、原宿と渋谷の間の道)。雨天でもないのにN子が黒い傘を持っていることに気がつき、自分はそれを指摘した。
するとN子は、くすくすと笑いながら、オレにその傘を手渡した。それから彼女が、路傍の消火栓のようなものをささっと操作すると、暖房用スチームの霧のようなものが、オレに向かってそこからブシューッと、猛烈に吹き出してきた。

『ぶほほほっ! 何をするだーッ!』

思ったほどには熱くなかったが、その霧にむせながらオレは叫んだ。それから次の瞬間、『あ、そうか。この霧を防ぐために使え、という意味か』…と考えて、自分は傘を広げようとした。

ベルギーの王さま

 ――― 2010年09月4日。『ベルギーの王さま』 ―――
どこかの出版社でライターとして使ってもらおうとして、たぶん一種の採用テストを受けていた。『いまどき紙とえんぴつで?』とは思いつつ、会議室っぽい場所の机に向かって、資料を見ながら、『統計によると、女性の66%がセクハラ被害を経験しており』…とかいう文章を書いていた。
書き終わったところで、きれいで感じのいい中年の女性編集者が、その原稿を見てくれる。そして、『文章はいいけど、書くのに時間がかかりすぎですよね』と言う。その通りだと感じて、自分は恐縮してみせる。

追ってその社からの発注だったのだろうか、自分は『ベルギーの王さま』である人物を取材におもむく。ベルギーの王さまでありながら彼は、なぜか原宿あたりにお屋敷をかまえている。そしてそのお屋敷が、御殿のような、教会のような、商業ビルのような…というふしぎな場所でもある。
で、そこでお目にかかれた『ベルギーの王さま』は、見た感じ30代くらいの茶パツの青年だった。ちょっとバタ臭い顔つきはしていたけれど、まったくふつうに日本語をあやつり、ほとんど日本人と変わらなかった。

そして自分は、そのお屋敷に存在したパイプオルガンに目をつけた。
『これは、こうやって弾くものなんですか?』
『いや、オレは弾けないし、よく知らないんだよね』

さわってもさしつかえないらしいので、自分はそのパイプオルガンをいじって気ままに音を出してみた。そして気がついたのは、鍵盤と鍵盤の間に、『ワンタッチで和音を出すための特別なキー』があることだった。
(註。それは、アコーディオンの左手側についているボタンのことだろう)

やがてパイプオルガンに対して気がすんだ自分は、『そうだ、ともかくも王さまの写真を押さえておこう』と考えた。そこで王さまを探したら、彼は近くの喫茶室で、別の客人と接見しようとしており、かつ、たばこをくわえて火をつけようとしているところだった。
『ちょっと悪いかなあ』とは思いつつも自分は、『すみません王さま、ちょっとお写真をいただけませんか?』と、声をかけた。すると気さくな王さまは、ありがたくも『ん? いいよ?』と快諾してくれた。
では、写真を撮るのに場所はどこがいいか、やはり絵になるのは、さっきのパイプオルガンを背景にしてかなあ…と考えて自分は、というところで目がさめた。